地 区 |
建 物 |
創 建 |
概 要 |
花 |
交 通 |
北 区 |
世界遺産
上賀茂
神社 |
678年 |
神代の昔、この地を支配していた豪族<賀茂氏>が、
社殿の北北西にある”神山”に降臨した「賀茂別雷神(カ
モノワケイカズチカミ)を氏神として祀ったのが始まり。
天武天皇6年(678年)に現在の社殿が造営された。
毎年5月15日に催される「葵祭り」は、上賀茂神社・
下鴨神社両社の祭礼で、6世紀に蔓延した疫病を鎮め
るために天皇が勅使をつかわして「鴨の神の祭礼を行
ったのが 始まり。 |
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バス停
「上賀茂神社前」
からすぐ
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左京区 |
世界遺産
下鴨神社 |
紀元前
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崇神天皇7年(紀元前20年)に神社の瑞垣の修造が行
われたとの記録があり、それ以前の創建と思われる。
古代の豪族<賀茂氏>の始祖を祀る、
京都最古の寺で、平安時代は王城鎮護の社として崇めら
れ、歴代皇女が斎王となった。
「葵祭り」は上賀茂神社との両社の祭礼。 |
紅葉 |
京阪
「出町柳」
歩5分
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〃 |
鞍馬寺 |
770年 |
鑑真の弟子鑑禎が霊夢に触発されて毘沙門天を安置し
たのが始まり。
本堂の左にある光明心殿に祀られているのは何んと
650万年前に金星から、人類救済の使命を帯びて降臨
したという護摩魔王尊。
また、牛若丸が修行した地でもある。 |
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京福電鉄
「鞍馬
歩30分 |
〃 |
寂光院 |
594年 |
594年聖徳太子が用明天皇の菩提寺として創建。
平清盛の娘で安徳天皇の母でもある建礼門院が壇ノ浦
の戦いで、源氏の兵士に海から助け上げられて以来、
ここで平家一門と我が子安徳天皇の菩提を弔い、念仏
三昧の日々を過ごし、1203年56才でこの世を去っ
た。
本堂は2000年(平成12年)に放火により消失し、現
在の建物は5年後に再建されたものであるが、今で
は落ち着いた雰囲気を漂わせている。 |
桜
紅葉 |
京阪バス
「大原」
歩15分 |
東山区 |
八坂神社 |
656年 |
高麗よりの渡来人が、この地に牛頭天皇を祀ったのが
始まり。
祭神は須佐之男命。
朝廷の信仰を受け、疫病災難退散の神として崇めら
れ、祇園祭の鉾もこうして出来た。
本殿は1665年の再建。 |
枝垂桜 |
京阪
「四条」
歩5分 |
山科区 |
毘沙門堂 |
703年 |
文武天皇の勅願により、僧行基によって御所の北側に
開山。
1665年に現在の山科の地に再建。
山科盆地を守護すると言われる本尊の毘沙門天は、
最澄が自ら彫ったものと伝わる。
本堂や唐門には、日光東照宮とよく似た装飾が施され
ている。
宸殿前庭の樹齢100年を超える枝垂桜は見事。
2008年10月、本堂に安置されていた「毘沙門天」が
何者かによって盗まれた。 |
桜 |
JR・京阪
「山科」
歩20分 |
右京区 |
広隆寺 |
603年 |
山城最古の寺院。
四天王寺・法隆寺と共に、聖徳太子建立の<日本七大
寺>の一つ。
秦河勝が聖徳太子から仏像を賜り、これを本尊として
建立。(日本書紀)
秦氏族は、応神天皇16年に日本に帰化したのち、
養蚕・機織業を中心に、大陸から先進文化を取り入
れ、当時の地方産業の発展に務めた。 |
桜
つつじ |
京福電鉄
「太秦」
すぐ |
西京区 |
勝持寺
(「花の寺」) |
680年 |
役行者が開き、最澄が堂宇を再建。
当初は「大原寺」と言われたが、足利尊氏が立ち寄っ
た謂れから、「勝持寺」と改名。
平安期に歌人<西行>が隠棲した寺。
西行自身の手植えと伝わる”西行桜”が残る。
春には約400本もの桜が、境内を覆い尽くすことから
「花の寺」とも呼ばれている。 |
桜
紅葉 |
市バス
阪急バス
「南春日町」
歩15分 |
長岡京市 |
乙訓寺 |
620年頃 |
推古天皇の勅願により聖徳太子が開いたと伝えられる
古寺。
寺宝の「毘沙門天像」(重文)は空海が彫ったとも伝
えられる。
早良親王が一時幽閉された寺。 |
牡丹
山吹 |
阪急バス
「今里」
歩2分 |
向日市 |
長岡京
大極殿跡 |
784年 |
784年(延暦3年)、桓武天皇が奈良からここへ都を
移した。
大極殿跡は周囲を生垣で囲み、史跡公園になってい
る。
内裏跡も、一部公園に指定されている。
東西4.3km・南北5.3kmと、平城京・平安京に匹敵
する規模であった。 |
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阪急
「西向日」
歩10分 |