<日野市とその近郊>

<浅川>


浅川の渡し

(現在はもう廃止となった)

カワセミ

(日野市の市鳥)

百舌鳥(モズ)

カワウ

(羽根を乾かしている)

<土方歳三>


「石田寺」

(土方歳三の墓がある)

土方歳三の墓

<高幡不動尊>

     古来より関東三不動の一つに挙げられ、その草創は大宝年間(701年)以前とも伝えられるが、平安時代初期に

    慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願により、当地を関東鎮護の霊場と定めて、山中に不動堂を建立し、動明王を安置

    したのに始まる。



<百草園>


    江戸時代の享保年間(1716年〜)、小田原城主大久保候の室、寿昌院殿慈覚元長尼が、徳川家康の長男・岡崎三郎

    信康追悼のために、松連寺を再建し、それに伴って造られた庭園が「百草園」。

     2〜3月に咲く800本の梅は古木で、見事な花を咲かせ、都内有数の梅の名所として親しまれている。

    江戸時代の<文化・文政>の頃には、多くの文人・茶人たちが、この地で句会や茶会を開いた他、若山牧水や徳富蘆花

    などの文人たちが訪れている。

                           


<平山城址公園>


     その昔、この地に平山季重の居館があり、今の平山城址公園には<見張り所>があった。

   「保元の乱」(1156年)では源義頼に従い、「平治の乱」(1159年)では、源義頼の長男源義平に従い、「待賢門の

     戦い」で重盛の軍勢500騎  に17騎で挑んで一躍勇名を馳せた。

    その後は平家に従っていたが、治承4年(1180年)に源頼朝が挙兵するとそれに従い、その弟源義経に従って富士

    川の戦い、佐竹征伐にも従軍している。

    その後「宇治川の戦い」「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」「「壇ノ浦の戦い」等に参戦して、鎌倉幕府の元老として取り

    立てられている。


                          


<多摩御陵>

                                     


<日野本陣>(日野市指定文化財)

      江戸時代末期に日野宿の名主を努めていた佐藤彦五郎の屋敷跡で「日野本陣」として使用されていた。

     併設されていた道場では、土方歳三や沖田総司らが稽古に励んでいた。

                      


<夕焼け小焼けの里>

    中村雨紅は「宮尾神社」(八王子市恩方町)の神官の三男として生まれ、荒川区立第三日暮里小学校での勤務を

      終えて、八王子駅から恩方の自宅まで徒歩での帰路、毎日目にしていた美しい<夕焼け>に心を打たれ、 大正

   8年に童謡<夕焼け>を発表した。

                        

                  宮尾神社                     夕焼け小焼けの碑