京都四次元の旅

<時代別・地区別ガイド>
< 江 戸 時 代 >


            1600年<関ヶ原の合戦>で勝利を収めた徳川家康が、1603年に幕府を開き、来1867年に

                           徳川慶喜が「大政奉還」するまでの260年余りの間<江戸時代>は続いた。

地 区
建 物
創 建
概    要
交 通
左京区
詩仙堂
1641年
 軍律を破ったため徳川家康のもとを離れ、のちに風雅三昧を
  おく った石川丈山が結んだ草庵。
 詩仙堂の名は、鹿野探幽らが描いた中国三十六詩仙の肖像画
  に、石川丈山がそれぞれの詩人の詩を書き、これらの額を掲げ
 た部屋<詩仙」の間>に由来する。

紅葉


さつき

バス停

「一条寺

下り松」

歩5分
法然院
1680年
 法然が弟子の住蓮・安楽とともに「阿弥陀仏」を礼讃したと
  いう旧跡に建てられた。
 後西天皇の皇女の御座所を移した方丈では、襖絵14面(重文)
 が見られる。
 本堂は春季・秋季の<特別公開日>のみ拝観可能。
紅葉


バス停

「南田町」

歩4分
蓮華寺

 もともと京都駅附近にあったものを、1662年に加賀前田藩の
 家老、今枝近義がこの地に移し天台宗の寺として再興したも
 の。
 本尊は釈迦如来。
 本堂・鐘楼・井戸屋形は移築当時のもの。
 池泉回遊式庭園は、石川丈山や狩野探幽などが協力して作庭
 したと伝えられ、紅葉のシーズンにはことに美しい。
紅葉
京福電鉄

「三宅八
幡」

歩10分
修学院

離 宮
1659年
 後水野尾上皇が京都市の北部に造営した広大な 山荘。
 上の茶屋にある「隣雲亭」からは京都の市街が一望出来、
 修学院離宮を代表する絶景の場所。
紅葉
バス停

「修学院

離宮前」

歩7分
東山区
高台寺
1605年
 豊臣秀吉の菩提を弔うため、北政所ねねが徳川家康の庇護を
 受けて創建。
 たびたび火災に遭ったが、創建当時の建物として「開山堂」
 「傘亭」「時雨亭」「表門「観月台」などが残り、いずれも国
 の重要文化財に指定されている。

紅葉

バス停

「東山安
井」

歩5分
中京区
世界遺産

二条城
1603年
 徳川家康が上洛する時の宿所として造営。
 大阪冬の陣・夏の陣には、コ川軍の本陣となった。
 慶応3年(1867年)10月<大政奉還>によって歴史の舞台と
 しての役目を終えた。
地下鉄

「二条城
前」

すぐ
右京区
落柿舎
1686年
 松尾芭蕉の門下で芭蕉十哲に数えられる向井去来が晩年を過
 ごした草庵。
 芭蕉が17日間滞在し<嵯峨日記>を記した場所でも知られる。
 「落柿舎」の名は、庭の柿を売ろうとして、先に代金を受け取
 っていたのに、その夜の「野分(のわけ)」で柿の実が全部
 落ちてしまい、已む無く代金を返金したというエピソードによ
 る

バス停

「嵯峨

小学校前」

歩6分
西京区
桂離宮
1662年
 京都の西方、桂川の中流域西岸に営まれた離宮。
 八条宮家の初代智仁親王と、二代智忠親王父子によって、約5年
 におよぶ造営によって完成したもの。
 この庭園が有名になったのは、ドイツの建築家ブルーノ・タウ
 トが日本建築の世界的奇跡」「永遠なるもの=桂離宮」と
 絶賛してからのこと。
紅葉
バス停

「桂離宮
前」

歩8分
下京区
東本願寺
1602年
 徳川家康が本願寺の力を削ぐため教如に寺地を与え本願寺から
  分立させて「東本願寺」とした。
 京都の人々からは<お東さん>と呼ばれて親しまれている。
 境内の中央に建つ御影堂は世界最大級の木造建築。
 堂内には浄土宗の開祖、親鸞上人の像が安置されている。

JR

「京都」

歩7分

宇治市
萬福寺
1661年
 黄檗宗の総本山。
 中国からの渡来僧であった隠元禅師が、後水尾天皇の母<中和
 門院>の別荘跡に創建。
 法式(祀りごと)はもとより、食事作法なども忠実に中国僧院
 の伝統を受け継いでいる。
 周囲の塔頭では”普茶料理”を提供している。

JR

「黄檗」

歩5分

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